プロローグ/政宗の志、今再び/復興へ思い一つ 「余がかつて黒船を建造して南蛮国へ遣わしたのは、異 国の宝物を求めてのことではない。わが名をば、スペイン やローマにもとどろかせてやろうと考えたのよ」 晩年の伊達政宗は、そばに仕える若者にそんな懐旧談 をした。得意げな高笑いが伴いそうなせりふだが、大事業 を発動した誇りとともに、幾分の負け惜しみが含まれてい るようにも聞こえる。 「日本スペイン交流400周年」が6月1日に始まる。皇太 子さまと、スペインのフェリペ皇太子を名誉総裁に頂き、両...
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プロローグ/政宗の志、今再び/復興へ思い一つ 「余がかつて黒船を建造して南蛮国へ遣わしたのは、異 国の宝物を求めてのことではない。わが名をば、スペイン やローマにもとどろかせてやろうと考えたのよ」 晩年の伊達政宗は、そばに仕える若者にそんな懐旧談 をした。得意げな高笑いが伴いそうなせりふだが、大事業 を発動した誇りとともに、幾分の負け惜しみが含まれてい るようにも聞こえる。 「日本スペイン交流400周年」が6月1日に始まる。皇太 子さまと、スペインのフェリペ皇太子を名誉総裁に頂き、両 国が官民を挙げて、文化、観光、科学技術、教育など幅広 い分野で交流を深める。期間は来年の7月末まで。両国 の関係に新風を吹き込むのが目的という。 日本とスペイン(西班牙)、日西交流400周年の出発点 は、政宗が回顧した伊達の黒船に外ならない。支倉常長 らを乗せた慶長遣欧使節船「サン・ファン・バウティスタ号」 復元船「サン・ファン・バウティスタ号」は、 は、今から400年前の1613年10月28日に牡鹿半島の 津波に傷付きつつも、未来への希望をつ 月浦をたち、太平洋の荒波を超えてスペイン領のメキシコ なぐように、船首を東に向けている=石巻 を目指した。 市渡波の宮城県慶長使節船ミュージアム 周辺 使節は来航の真意を疑われ、スペイン王に奉呈した政 宗の親書には何の返答もなかった。だが、常長らの名は 「日本からスペインに派遣された初の外交使節」として、日西交流史に銘記されることになった。 豊臣秀吉でも徳川家康でもない、政宗の使節が二つの国家を結びつけたと解釈されたのだ。 16世紀に始まった南蛮貿易は、西国大名らにばく大な利益をもたらした。「仙台沖を流れる黒 潮に乗れば、太平洋をひとまたぎしてメキシコに行ける。道はスペイン本国、ローマへと続いてい るのだ」。大航海時代の新知識を得た政宗は、太平洋交易に乗り出す機会をうかがっていた。 1611年12月2日、彼の背中を強く押す大事件が発生した。慶長三陸地震。マグニチュード8. 5以上と推定される巨大地震は大津波を伴い、仙台領に死者5000人とも伝えられる深刻な被 害をもたらした。関ケ原役の後、領国経営に取り掛かったばかりの政宗にとって、まさに国難と言 える出来事だった。 「今こそ」。政宗は立ち上がった。黒船の建造は被災地を潤す公共事業となるだろう。
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